原題:The Public
2018/アメリカ 上映時間119分
出演:エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、ジェナ・マローン、テイラー・シリング、クリスチャン・スレイター、ガブリエル・ユニオン、ジェフリー・ライト、マイケル・K・ウィリアムズ、チェ・“ライムフェスト”・スミス、ジェイコブ・バルガス
パンフレット:★★★★☆(800円/人選がしっかりしていてタメになるコラムが4本収録(うち1本はイラストコラム)。表紙のデザインも素敵)
(あらすじ)
オハイオ州シンシナティの公共図書館のワンフロアが約70人のホームレスたちに占拠された。記録的な大寒波の影響により、市の緊急シェルターがいっぱいで彼らの行き場がなくなってしまったのだ。彼らの苦境を察した図書館員スチュアートは図書館の出入り口を封鎖するなどし、立てこもったホームレスたちと行動をともにする。スチュアートにとってそれは、避難場所を求める平和的なデモのつもりだった。しかし、政治的イメージアップをねらう検察官やメディアのセンセーショナルな報道により、スチュアートは心に問題を抱えた危険な容疑者に仕立てられてしまう。(以上、映画.comより)
予告編はこんな感じ↓
70点
※今回の記事は、本作に感動した方は頭に来る可能性があるので、読まない方が良いです。
※今回の記事は、我ながらなかなか偏差値が低めになってしまったので(汗)、本作のちゃんとした感想を読みたい方は、シネマンドレイクさんのレビューを読むと良いザンス。
本作の公開前、確かユナイテッド・シネマとしまえんで本作のポスターを見かけた時は「おっ、エミリオ・エステベス、懐かしいな (´∀`) アラアラ」ぐらいに思ったものの、それほど観る気は起きなかったんですよ。ただ、愛聴しているラジオ番組「アフター6ジャンクション」の「ムービーウォッチメン」のリスナー枠に選ばれたし、さらに今週の課題映画になったということで、8月12日(水)、新宿バルト9で「のぼる小寺さん」を観てから、新宿武蔵野館にて映画ファンサービスデー割引(1100円)を利用して鑑賞いたしました(その後、桂花ラーメンを食べてから職場に行って、夜は「水曜日が消えた」を観ました)。考えさせられましたな… (´・ω・`) ウーム
実は7月31日(金)に観ようとしたら時間を間違えてチケットを無駄にした…なんてこともありました。
検察官やマスコミのフェイクニュースでイメージが悪化するも、主人公たちは全裸で乗り切ってましたよ(雑なまとめ)。
いや〜、なかなか面白かったです (・∀・) ヨカッタ! エミリオ・エステベスと言えば
僕的に「エミリオ・エステベス」で1本選ぶなら、この映画でございます↓
ハッキリ言って、僕的に一番好きだったのは、最後の集団全裸オチ。映画序盤に“どうかしている全裸男性”が登場するんですが、まさかあれが伏線になっていたとは… (`Δ´;) ヌゥ 正直、僕はアキラ100%さんのDVDを購入するほどに全裸ギャグが大好きなのでね、あのラストだけでも十分、映画代の元は取れたと思いましたよ。つーか、現在公開中の「ぐらんぶる」といい、ややもすると、全裸の時代が来たのかもしれませんな…(例が少なすぎる予想)。それと、アレック・ボールドウィンやクリスチャン・スレイターといった、エミリオ・エステベスと同時代の俳優たちが活躍したのは、少しうれしかったですね〜。それにしてもクリスチャン・スレーターはなんで日本で評価されないんだろう…(底意地の悪い文章)。
ただ、正直なところ、鑑賞中は勝手に最近流行の「実話の映画化作品」だと思い込んでたんですよね… (´∀`;) ナンデダロ パンフを読んでみたら「ソルトレイクシティー公共図書館の元副理事チップ・ウォードがLAタイムズに寄せたエッセイにインスパイアされた物語」ということで、鑑賞直後、「実際のニュースをチェックしよう!(*゚∀゚)=3 ムッハー!」と高めだったテンションがゆっくりゆっくり下っていく「夏色」なアタシ。つーか、実話ベースだと思っていたからこそ、籠城中の独占インタビューでの「怒りの葡萄」の引用シーンとか「あの状況であんなことをよく言えたな!(°д°;) マジカ!」と尊敬したけどさ、創作だと言われると「ですよねー」と一気に冷めちゃったから、人間というのは不思議な生き物ですな(勝手に他の人も巻き込んだ文章)。そりゃあ「主人公が口ベタ」だから仕方ないんでしょうけど、とはいえ、ちゃんと「平和的なデモ」であることを分かりやすく伝えるべきなのに、名作小説をダラダラ引用しちゃうのって、ごめんなさい、無教養な僕には現実味がなくて鼻につく演出でした…ってのは心が狭いですカネー(その直後、クソ記者が知識でマウントされるシーンも好きじゃなかった。「怒りの葡萄」、一生読まない)。
あと、図書館に飾られていたホッキョクグマの剥製、何らかの暗喩ではなくこんな風に活躍するのかと期待してた(「グラップラー刃牙」より)。
って、雑な文句を書いちゃいましたが、そもそも勝手にカン違いしてた僕が悪いだけであって(そりゃそーだ)。本作は、図書館=公共施設の在り方、人種差別、貧困、フェイクニュース、依存症、前科者の立ち直りなどなど、様々な社会問題を盛り込んでいる映画であり(2回目)、いろいろと考えさせられるという点では「実話の映画化作品ではない」と知った今でも好きなのです。特に僕の頭を悩ませたのは、本作がラストで提示した「男は全裸で人前に出る場合、股間を隠すべきか」問題。以前、「『魔忠告!男のワキ毛処理!ヽ(`Д´)ノ』という駄話」という記事の中で、「旅館の大浴場や銭湯に入った時、男は股間の前を隠すべきか?」という社会問題に触れたことがあるんですけど、その延長というか。
もし本作のホームレス集団の中に玉袋筋太郎さんがいたら、「男は隠し事をするな!ヽ(`Д´)ノ ダメダゾ!」と、決して股間を手で押さえなかったと思うのです(劇中の逮捕前シーンでは、カメラが股間を映していない時は“手の位置的に隠していないと思われる人”が少なくなかった)。ただ、そこに「そんなモノを人に見せびらかすな!ヽ(`Д´)ノ キタナラシイ!」派の杉作J太郎先生がいたとすると、スムースに手で股間を隠されたことでしょう(逮捕されて屋外に出るシーンでは、ほぼ全員が股間を押さえてたように見えた)。ううむ、あの場に僕がいたら、どうすべきなのか。心境的には「小さいから前隠し」と着地したいものの、残念ながら未だに「男」というジェンダーの呪いに囚われている部分もあって、やっぱり粗品だろうとも堂々と見せられる姿勢でありたい自分もいてーー。そんなワケで、一昼夜悩んだ結果、「手は股間に伸ばしつつもヘアの部分に添えるだけ (°∀°)b ソエルダケ!」という結論に達したのですが、あなたならどうしますか?
ちなみに範馬刃牙さんは「手で隠す派」っぽいですな(「バキ」より)。