原題:Mank
2020/アメリカ 上映時間132分
出演:ゲイリー・オールドマン、アマンダ・セイフライド、リリー・コリンズ、アーリス・ハワード、トム・ペルフリー、サム・トラウトン、フェルディナンド・キングズレー、タペンス・ミドルトン、トム・バーク、ジョセフ・クロス、ジェミー・マクシェーン、トビー・レナード・ムーア、モニカ・ゴスマン、チャールズ・ダンス
パンフレット:なし(誰か作って!)
(あらすじ)
1930年代のハリウッド。脚本家マンクはアルコール依存症に苦しみながら、新たな脚本「市民ケーン」の仕上げに追われていた。(以上、映画.comより)
予告編はこんな感じ↓
85点
そりゃあデビッド・フィンチャー監督の作品は全体的に好きだし、どことなく「沖縄県那覇市と豊見城市にまたがる干潟」を思わせるタイトルもドキドキするので(どことなく最低な文章)、本作に興味がなかったワケではないんですが…。かなり前からNetflixに加入している僕的に、12月4日(金)からの配信が決まっている映画をわざわざ金を払って観に行く気はナッシングじゃないですかぁ〜(突然、馴れ馴れしく)。だから本作については「まぁ、いつか観ようかな」程度の気持ちだったんですけど、ああん、愛聴しているラジオ番組「アフター6ジャンクション」の週刊映画時評コーナー「ムービーウォッチメン」の課題映画になったので、11月24日(火)、新宿で「シャークボーイ&マグマガール」「ジオラマボーイ・パノラマガール」、下高井戸で「ジョーンの秘密」を観てから、渋谷のヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞いたしました。「パンフレット、大事… (´・ω・`) ウーン」と痛感しましたよ。
2番スクリーン、観客は30人ぐらいいたような。
本作は、1930年代〜40年代のハリウッドで活躍したベテラン脚本家であり“腕相撲で相手を骨折させたことがある男”ハーマン・J・マンキーウィッツ(a.k,a,マンク)が、「いかにして『市民ケーン』の脚本を書いたのか?」という現在進行系パートに、「なぜウィリアム・ランドルフ・ハーストやマリオン・デイヴィスとの信頼関係を壊してまで、彼らをモデルにした脚本を書くに至ったのか?」という回想パートが挟まれていく…という構成。一応、オチだけアッサリ気味に書いておくと、脚本が完成するとハースト側の妨害に遭ったり、映画に脚本家としてクレジットを「載せる!(*゚∀゚)=3」「載せない!ヽ(`Д´)ノ」でオーソン・ウェルズ監督と揉めたりしつつ、『市民ケーン』が公開されると第14回アカデミー賞9部門ノミネート&脚本賞を見事受賞しまして。「マンクは55歳で死にましたよ (´・ω・`) ザンネン」的なテロップが出て、終わってたような気がします。
ゲイリー・オールドマン演じる脚本家のマンクが主人公でして。
彼がこの脚本を執筆するに至った理由が描かれるのです。
基本的に僕は「頭空っぽの方が夢詰め込めるぅ!ヘ(゚∀゚*)ノ スパークリング!」派でして(苦笑)。「映画鑑賞前にはなるべく知識を入れないで観るタイプ」であり、あの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」ですら「チャールズ・マンソン・ファミリーの事件を知らないで観ても良いかも」と思うぐらいなんですが、しかし。結局、それは「作品による」という部分もあるんですよね…。特に本作については、1930年〜40年代のハリウッド事情ついてある程度は知っていた方が楽しめるのはもちろんのこと、最低限、『市民ケーン』だけは観ておいた方が良いと思いました(映画評論家の町山智浩さんによる予習&復習をあわせて観ると、なお良し)。
日本版の予告編があったので、貼っておきますね↓
僕が最初に「市民ケーン」を観たのは(背伸びをしていた)高校生の頃で、ごめんなさい、まったく面白く感じなくて。「『狼少年ケーン』や『北斗のケーン』の方が好きだな」程度の印象しかなかったんですけれども。2011年にデビッド・フィンチャー監督の「ソーシャル・ネットワーク」が公開された時、確か宇多丸師匠が時評の中で「市民ケーン」を引き合いに出されていて、「そんな内容だったっけ?(・ε・) ウロオボエ」と思って見直してみたら、意外と面白かった…ってな調子。大量のコンテンツが世の中に溢れている現在、いくら名作認定されているからって無理に観る必要はないと思いますが、とはいえ、「Mank マンク」には「市民ケーン」へのオマージュが散りばめられている上に「『市民ケーン』を踏まえると、より面白い作り」になっているのは間違いないので、本作が気になっている方は、ぜひともその前に「市民ケーン」を観ていただければと思います。
「市民ケーン」は、リンが名前を叫ぶくだりが最高…なんて混同はわざとらしいですな(「北斗の拳」第1巻より)。
で、さすがはデビッド・フィンチャー監督ですよ、「『市民ケーン』の引用がー(回想を入れる構成自体がオマージュになってる)」とか「当時のハリウッドを再現した美術がー」とか「当時のハリウッド映画を意識したモノクロ映像や撮影方法がー」とか「超絶な長回し&テンポの良い台詞回しがー」といったあたりは本当に褒めるしかないのではないでしょうか (´∀`) スゴイワァ さらに、マンク役のゲイリー・オールドマンの芝居がとにかく素晴らしくて、僕的に今まで見た中ではベストの渋さ&カッコ良さでしたねぇ…(しみじみ)。他の役者さんたちも良くて、特にルイス・B・メイヤー役のアーリス・ハワードは憎々しく可愛くて最高でした。スタジオ内を歩きながらマンクと弟のジョーにいろいろと説明しつつコストカットに臨む一連のシーンは、スゲー笑っちゃいましたよ。
このシーン、小気味よくてマジで面白かったです。役者冥利に尽きるでしょうな。
まぁ、なんとなく思ったことを雑に書いておきますと。まず、「正しさだけじゃ生きていけない!Σ(°д° ) クワッ!」と。この映画は「昔のハリウッド」が舞台ながらも、現代に通じる「イエロージャーナリズムやフェイクニュースの危険性」を描いている…ってのは、たぶん今も昔も人間のやることは変わらないってことなんでしょうけど、それはそれとして。本作のクライマックス、世の中への不満を鬱屈させて泥酔したマンクが食事会でハーストの人生をベースにしつつ大量のイヤミを搭載したストーリー(のちの「市民ケーン」である)を本人にぶつけるシーンが超キツくてね…。ああいうのって…マジでダメだなぁと…。たとえ言っていることが正しかったとしても、たとえ相手がクズだったとしても、主張の伝え方ってのはあるんじゃないかと(しかもハーストが給料の半分を払ってくれてたことが発覚するのが地獄のキツさだし、なんとなく「カーチャンとトーチャンだから笑って聞いてあげてたんだ」のコピペを思い出した)。
ううむ、なんて言うんですかね、確かにその後にハーストから「オルガン弾きの猿」扱いされる→マンクはそうじゃないことを証明するために傑作を書いたワケだから、ある意味では結果オーライではあるものの、それにしても食事会の場面自体は「アナタの意識が高いのは結構なんですけど、それって単に憂さを晴らしているだけなんじゃないですか?」という気持ちになったというか。なんかね、いやん、ちくしょう、今年の正月の自分がスゲー重なって凄まじくゲッソリしたし、ついでに「酒を飲んでも呑まれるな!Σ(°д° ) クワッ!」なんてこともあらためて思ったり。
ということで、サカキバラ・ゴウ先生の言葉を貼っておきますね(「逆境ナイン」第2巻より)。
それと、もう1つ。「実在の人物を描くことの問題」について、考えさせられました。「実在の人物や事件などをストーリーにして語り継ぐ」なんてことは昔からおこなわれてきましたが、ハーストの立場になったら「そりゃ嫌だよな (・ε・)」と。人間社会において権力者が批判的に描かれたりすることは仕方ないだろうし、結局は「創作」なんだし、文句を言われる筋合いはないと思うけど、でも、どうなのかな…と、モヤッとする部分が残る感じ(ちょうどさっき観てきた「トルーマン・カポーティ 真実のテープ」でも同じことを思った)。もちろん「人を傷つけない芸術なんてない」んでしょうけど、とは言え、「素晴らしい作品」とやらのために他者を傷つけるのはどこまでが許される範囲なのかな…なんてね。まぁ、難しくて知恵熱が出てきたので、ここら辺で僕は書くのをやめますから、あとはこれを読むあなたが考えていただければと思います(唐突なチェストパス)。
そう、あの鐘を鳴らすのはあなたなのです…という、唐突な和田アキ子さんの歌唱動画 (´∀`=) イイウタダナー
ちなみに、今回ほど映画パンフを読みたいと思ったことはなかったですねぇ…(遠い目)。この手の実話ベースの映画の場合、「どこまで史実通りなのか?」とか「撮影時はどういう苦労があったのか?」とか関連作品とかとかとか、スゲー知りたいけど、「市民ケーン」の内幕を描いた「スキャンダルの祝祭」は手に入らないし、自分で調べるのはスーパー面倒くさい…ということで。様々な有識者による解説やら分析やらで、知りたいことをササッと補完できるのが映画パンフの良さなんだよなぁと、そのありがたみを強く噛み締めた次第。うーん、いろいろな映画関連の冊子を作りまくっている集団「映画パンフは宇宙だ」あたりが作ってくれないかしらん (´・ω・`) ウーン
ここが作った冊子は、全部買っているのです。