
2018/日本 上映時間123分
監督・脚本:原田眞人
原作:雫井脩介
製作:市川南
共同製作:藤島ジュリーK.
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
企画・プロデュース:臼井央
プロデューサー:佐藤善宏、西野智也
協力プロデューサー:鍋島壽夫
プロダクション統括:佐藤毅
ラインプロデューサー:芳川透
撮影:柴主高秀
照明:大坂章夫
録音:矢野正人、鶴巻仁
美術:福澤勝広
装飾:籠尾和人、高橋光、岩井健志
衣装:宮本まさ江
ヘアメイク:酒井啓介
編集:原田遊人
音楽:富貴晴美、土屋玲子
音響効果:柴崎憲治
VFXスーパーバイザー:オダイッセイ
Bカメラ撮影:堂前徹之
スクリプター:西岡智子
キャスティング:杉野剛
助監督:桑原昌英、谷口正行
製作担当:伊藤栄
出演:木村拓哉、二宮和也、吉高由里子、平岳大、大倉孝二、八嶋智人、音尾琢真、大場泰正、谷田歩、酒向芳、矢島健一、キムラ緑子、芦名星、山崎紘菜、松重豊、山崎努
パンフレット:★★★★(820円/読み応えあるパンフ。佐藤優さん&郷原信郎さんというコラムの人選がナイス)
(あらすじ)
都内で発生した犯人不明の殺人事件を担当することになった、東京地検刑事部のエリート検事・最上と、駆け出しの検事・沖野。やがて、過去に時効を迎えてしまった未解決殺人事件の容疑者だった松倉という男の存在が浮上し、最上は松倉を執拗に追い詰めていく。最上を師と仰ぐ沖野も取り調べに力を入れるが、松倉は否認を続け、手ごたえがない。沖野は次第に、最上が松倉を犯人に仕立て上げようとしているのではないかと、最上の方針に疑問を抱き始める。(以上、映画.comより)
予告編はこんな感じ↓
90点
※今回の記事は、ムダにダラダラと長くなっちゃったので、そういう文章が苦手な人は読まないで!
別に「原田眞人監督作は絶対観る!」という主義ではないんですけど、劇場で本作の予告編を観たら、主演2人の芝居がかった台詞回しが気になったし、「検察が暴走するっぽいストーリー」への興味も湧いたので、観る気マンマンになりましてね。さらに愛聴しているラジオ番組「アフター6ジャンクション」での木村拓哉さんのインタビューが予想以上に素晴らしかったということで、公開初日にユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞(で、取引先の特撮オタクの人と夏の戦隊&ライダー映画(2回目)をハシゴ)。その後、原作小説
UCとしまえんの3番スクリーン、8割ぐらい埋まってました。

2回目はTOHOシネマズ錦糸町の2番スクリーン。満席でしたよ。

まず、お話を簡単に書いておくと、強盗殺人事件が発生して捜査線上に「荒川女子高生殺害事件(すでに時効成立)」の容疑者だった松倉(酒向芳)が浮上→被害者と仲良しだった最上検事(木村拓哉)の憎悪がボーボー燃え上がる<Part 1 言葉の魔術師たち>、別の有力な容疑者・弓岡(大倉孝二)が現れたと同時に、“収賄容疑で逮捕されていた親友”丹野(平岳大)が自殺したことで最上が暴走→自ら弓岡を殺害して松倉をあえて冤罪で罰しようとする<Part 2 審判>、最上の行動に不信感を抱いた沖野(二宮和也)が検事を退職→松倉の弁護士(八嶋智人)に協力する<Part 3 愚者>の3部構成になってまして。最終的には、弓岡の共犯者の自首によって、最上が殺人を犯してまで罰したかった松倉は無罪放免されるも、闇社会のブローカー・諏訪部(松重豊)が手配した“運び屋”(芦名星)によって殺害されましてね。最上は別荘に沖野を呼び出すと、「オレと一緒に日本を変えよう」的に誘うも、沖野ったら断固拒否。立ち去ろうとする沖野が「うわぁぁぁぁーっ!(`Д´)」と叫ぶ中、最上は誰かに電話をかけるのでした(沖野を誰かに始末させようとするっぽい?)。
捜査線に過去の殺人事件の容疑者・松倉が浮かび上がってきましてね。

もっと有力な容疑者・弓岡が現れるも、最上検事は何としても松倉を罰する気マンマン状態。

新人検事・沖野はそれを防ごうとするんですが、負けてしまうのでした (ノ∀`) ワタシマケマシタワ

ハッキリ言って、スゲー面白かったです!(*゚∀゚)=3 ムッハー 本作の売りは「木村拓哉さんvs二宮和也さん」なワケですけど、確かにこの2人の魅力がドップリ堪能できたなぁと。最初に、木村さんについて書くと、本作は“芝居がかった台詞”が結構多いんですが(これについては後述します)、それがサマになっちゃうのはこの人ならではじゃないでしょうか。で、「内心気まずい思いを抱えながらもスマートに逆ギレする嫌な奴」という難役を見事に演じていて、「カッコイイけど、カッコ悪い…でもカッコイイ… (´Д`;) アァン」って感じで観てましたよ。僕的には、弓岡を始末する際のドタバタ→翌日、橘沙穂に痛いところを突かれて「バカか!(;`Д´)」と怒鳴って誤魔化す展開あたりが超楽しかったですね。
木村さん、インタビューを聴いていたのもありますが、本作では好感しか持てなかったです。

宇多丸師匠が「ミラーズ・クロッシング」

そして、二宮和也さんもスゴかった! 「もう35歳なのに若手が似合う」という童顔振りに驚いただけでなく、演技がとにかく素晴らしい。まず、殺人犯・松倉を演じた酒向芳さんは最高としか言いようがなくて、予告編でも確認できる「パッ」と口を開けるシーンの憎たらしさと言ったら、あまりの怒りで脳がダメになりそうなほどであり、女子高生を殺した状況を語る時に椅子に座りながら腰を動かす演技については、煮えくり返ったハラワタにポン酢をつけてサッパリといただけそうなレベルだったんですが、しかし。その直後、二宮さん演じる沖野による「いつまでシラを切るつもりだ、クズ!」から始まる恫喝タイムが100点のクオリティ。被害者の死体の写真を撒きながら「なんなんだよ、そのクソみてぇな人生は!」なんて荒い言葉をハードに叩きつけていくだけでなく、全観客が散々イライラさせられていた「パッ」も3回やり返してくれて、ふてぶてしかった松倉が「ママー!ママー!(TДT)」なんて精神的に追い詰められるから、超スッキリす (o^-')b スッキリ! ハッキリ言って、映画を観ている僕までが「私がやりました… (ノω・、)」とウソの自供をしそうなド迫力であり(自分に置き換えて考えるとスゲー怖い…)、映画史に残る級の取り調べシーンだと思ったり。
松倉は心底ムカつくクズ野郎。「パッ」と口を開く仕草が特に苛立つんですけど…。

沖野による「取り調べという名の恫喝」がスタートすると、すっかりオロオロ顔で留飲が下がりまくり。

さらに「パッ」までやり返してくれるから、気分爽快なのでした (´∀`) ノモー

とは言え、もし沖野の牙がこっちに向いたら…と思うと、すっかり松本梢江気分なのでした。

あと、“変なところ”が多いのも好きでしたねぇ…(しみじみ)。役者さんたちが熱演する中、なぜか奇妙に見えたり、ノイズに感じたりする要素が驚くほど盛り込まれてまして。たぶん本作を評価する人も合わなかった人も、鑑賞中は同じように「なにこの映画!Σ(゚д゚;)」と思ったんじゃないかしらん。で、原作を読んでみたら、そういった部分はほぼ映画のオリジナル要素だったから、なるほどなぁと。まぁ、それらの“変なところ”を個条書きにしてみると、こんな感じでございます↓
<① 登場人物の台詞回しが変>
作品のトーン自体はリアルなのに、登場人物たちの台詞がところどころ芝居がかっている上に、早口かつ情報過多気味だったりして。木村さん演じる最上が「罪を洗い流す雨…そんなもんないからな」とか予告編でも流れる「オレの正義の剣を〜」といった台詞を言うのは、似合うから全然良いんですけれども(ただ、誕生日占いシーンでの「ドナルド・トランプ!(`∀´)」はやりすぎだと思った)。例えば、諏訪部と沖野の尋問シーンでの「ベビーフェイス」とか「ノックアウト」といったフレーズ、松倉による「DNA検査には検体が〜」という説明台詞、「誰か身近な人間が冤罪事件に巻き込まれたんだろ?」というあまりに察しが良すぎる沖野の問い掛け、橘沙穂の長めの告白(「冤罪事件のせいで自殺した友人が遺書に『みんな怒アホ』と書いた」云々)などなど、不自然な台詞が多いんですよね。僕的には、被害者の遺族でヤクザの千鳥が「吹聴」なんて言葉を使ったのは引っ掛かったし、諏訪部の「私、久しぶりに燃えよドラゴン
<② インパール作戦と「今の日本社会の問題」要素が変>
ほとんどの人が「これは原作にあるのかな… (・ω・;)」と違和感を覚えたと思うのが、「最上と諏訪部の祖父はインパール作戦に参加して生き残った人たちだった→だから2人は仲良し」という設定でしてね。関係者は大儲けなのに11万人もの無償ボランティアを駆り出そうとしている2020年の東京オリンピックをインパール作戦に例える人が少なくない今、ある意味、タイムリーといえばタイムリーですけど、最上と諏訪部が何度も会話に出してくるわ、最上が死んだ丹野と白骨街道を歩く夢を見たりするわと、やたらと強調してくるんですよね。ううむ、率直に書くと、原作小説の「法を犯した検事vs暴こうとする検事」という超わかりやすい対立構造に余計なものをトッピングした印象は否めないなぁと。
その他、丹野の義父と妻が日本会議メンバーっぽく改変されていたりとか、女性検事がマスコミ関係者による強姦事件を起訴しようとしてたりとか、丹野が飛び降り自殺するのが「“お前の友だち”のホテル→アパホテル?」っぽかったりとか、弓岡を監視するヤクザたちが戦争について語っていたりとか、橘沙穂の友人家族の冤罪事件が和歌山カレー事件っぽかったりとか、現在の日本社会の問題や事件を想起させる描写がこれでもかと入っていて、そのたび「今のはなに!? Σ(゚д゚;)」と二度見する感じだった…って、伝わるでしょうか。
<③ フィクション・ラインが変>
本作の雰囲気や絵作りはリアルでしてね。特に犯罪者&刑事役の人たちは、韓国産暴力映画のように「コクのある顔の役者さん」が揃っていて、なかなか痺れるんですけれども。もうね、「橘沙穂が実は“2年契約の潜入ライター”で検察の暴露本を書くために国家公務員試験を受けて事務次官になった」という設定は「工エエェェ(゚Д゚)ェェエエ工」と思ったし、その後の最上の行動をタイミング良く捕捉するくノ一振りにも驚かされました。ただ、さらに度肝を抜かれたのが、諏訪部が手配した“運び屋の女”で、「話せない」という面倒くさい設定は置いとくとしても、弓岡殺害後のアフターケアや松倉を処分する“手際の見事さ”は(しかも「トラトラトラ」なんて報告しちゃう!)、さすがにフィクション・ラインが高すぎるというか、やりすぎじゃないでしょうか… (`Δ´;) ウーン それと「最上が沖野に目をかけるようになったのは誕生日占いがキッカケだった」という展開も、どこまで真面目に受け取っていいのか、よくわからなかったです。
吉高由里子さんの演技は良かったんですけど、キャラ的にはくノ一感が強かった印象。

それ以外でも「最上が帰宅したら奥さんが二胡を弾いている」とか「ヤクザへの対応が異常に荒っぽい女性警官」とか「最上が座禅に行く寺の住職が外国人」とか「最上と丹野が話している向こう岸で白いヒラヒラした服を着た女性たちがダンス」とか「ボウリング玉をぶつけるヤクザの新人教育」とか「『あの2人、そんなにヤリたいか!』と吐き捨てるファミレスの店員」とか「沖野と橘沙穂が入ったラブホの部屋がSMルーム」とか「丹野の葬式で踊る泣き女たち」とか「弁護士事務所が倉庫」とか「弁護士の奥さんがリーゼント」とか「弁護士事務所のSM用拘束椅子で遊ぶ沖野たち」とかとか、劇中のリアルな雰囲気に微妙に水を差す要素がスムースに入ってくるから、脳内はすっかり「なぜ?の嵐」だったというね。
ということで聞いてください、吉沢秋絵さんで「なぜ?の嵐」↓(ラジオパーソナリティ風の口調で)
で、映画化の際、これら上記の要素を新たに加えただけでなく、重要な改変ポイントが2つあって。1つ目は、丹野の自殺の動機が、原作では「尊敬する政治家の義父を検察から守るため」だったのが、映画では「右寄りな政治家の義父と対立→罠にはめられる→戦いに疲れた… ('A`) シノウ」という風に変えられているから、死んだ意味が全然違ってくる。2つ目はラストで、原作小説では「最上の弓岡殺しは沖野サイドに暴かれてしまい逮捕される→結局、松倉は野放し」だったのに、映画では「弓岡には共犯者がいて、そいつの証言によって松倉は無罪になるも、諏訪部によって殺される→最上は裁かれない」という180度違う着地にしちゃってるから、原作小説のファンなら高確率で怒るだろうし、その怒りは決して間違っていないとも思うんですよ。
運び屋の女が高齢者ドライバーを使って松倉を始末…って、リアリティゼロでしたな。

だが、それがいい ( ̄ー ̄) ニヤッ まぁ、僕なりの解釈を書くと、もともと「木村さんと二宮さんのW主演で『検察側の罪人』を撮る」という話が最初にあった→そのオファーを原田眞人監督が受けたという経緯がありまして。で、監督的に“スター映画としてのエンタメ性”と“自分の作家性”を両立させようとした結果、こうなったんじゃないかと。というのは、原作小説を読むと「文章では気にならないものの実写にしたら厳しいのでは」と思うところがいくつかあって。いくら憎い相手だとしても一流の検事が容疑者を自分で殺害→その罪を他の人にかぶせるのはハードルが高いし、現役検事がブローカーから銃を買うなんてリスクがありすぎるし、事務次官・橘沙穂の勘が鋭すぎるし、最上が被害者と仲良しだったことを沖野が知るくだりも偶然がすぎるし、最上が仙人級に達観していたりするし…。そして何よりも後半に劇的なシーンがないため(小説の最上はジリジリ追い詰められていく)、そのまま映画化したら結構地味な作品になったと思うんですよ。
だから、監督的には実写化の際にエンタメ要素を強くしたことで、憎らしい松倉はより憎らしくなり(「少年時代、一家4人殺人事件に関わっていた過去」まで追加)、最上とブローカーの諏訪部は超仲良しになり、最後は松倉をキッチリ殺害するというオチになって、弁護士の奥さんはリーゼントになった…って、強引ですかね (´∀`;) エヘヘ あと、例えば「沙穂が諏訪部の賭けに乗ったのは彼女に潜入ライター経験があって、諏訪部の世界にも興味があったから?(ただ、そのせいで素姓を調べられた?)」とか「松倉に職場の社長をバカだとディスらせる→検体云々の知識を持っているレベルの頭の良さを補強している?」とか「弓岡が共犯者のことを話さなかったのはゲイだったから?(※パンフで裏設定だと大倉孝二さんが話してた)」とか「映画冒頭、検察庁前で高齢者ドライバー問題を訴えている→松倉を高齢者が轢き殺す伏線?」とかとか、監督なりに追加要素の中で作品内の整合性をとろうとした部分が感じられなくもないし、これらの要素に役者さんたちの熱演がプラスされることで、「社会的に成功していて家庭もある検事が法で裁ける真犯人をわざわざ殺す」という行為の不自然さに“原作以上の説得力”が生まれたような気がしないでもないです(全体的に自信なさげな文章)。
「取り調べを携帯で聞きながら指示を出す」という展開も、最上の怒りがわかりやすく伝わる良い改変でした。

被害者の女子高生が「Cry Me A River」を歌うのもオリジナル要素。歌詞が意味深なのです。
インパール作戦についても、ラストの“階段を昇る最上”に“降りる沖野”という対比が示すように、正義を体現する沖野を犠牲にしても強引に前へ進もうとする最上の姿勢は無謀な日本軍と重なる…ってのは無理矢理な解釈ですカネー (ノ∀`) テヘ 社会問題要素については、僕もかなりノイズに感じましたけど、同じように政治的メッセージが入ってくる1995年製作の原田眞人監督作「KAMIKAZE TAXI」
ということで、唐突ですが、在りし日のアンディ・フグを貼っておきますね↓
ううむ、ダラダラと駄文を書き連ねてしまって、我ながらサッパリになってきましたが、何はともあれ、とても面白かったですYO!ヘ(゚∀゚*)ノ ヤッタァ! 変なところは多々ありますけど、スター2人&芸達者な人たちの熱演が楽しめるだけでなく(例えば、弓岡役の大倉孝二さんの粗暴演技も最高だった!)、「取り調べの可視化」や「冤罪が発生するシステム」、「人質司法」などについても考えさせられる良い作品なのでね、一応、観ておくと良いんじゃないかなぁと。僕的には本作の恫喝シーンが本当に大好きであり、3回目を観に行こうかと迷っております。おしまい。
雫井脩介先生による原作小説。これはこれで面白かったです。
サントラを貼っておきますね。
近年で観た原田眞人監督作。僕の感想はこんな感じ。